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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)980号 判決

控訴人 トービン株式会社(旧商号 東京製壜工業株式会社)

右訴訟代理人弁護士 松尾菊太郎

同 金子正康

右訴訟復代理人弁護士 石川利男

被控訴人 城南信用金庫

右訴訟代理人弁護士 橋本一正

主文

本件控訴を棄却する。

当審における控訴人の新請求を棄却する。

訴訟費用(前控訴審、当控訴審)ならびに上告費用は全部控訴人の負担とする。

事実

〈全部省略〉

理由

一、訴外貴多部こと龜甲貴太郎が被控訴人に対し、(ハ)表記載の本件預金等債権を有していたこと、控訴人が龜甲に対するその主張の債務名義の執行力ある正本に基づき、昭和三五年東京地方裁判所に右各債権の差押及び転付命令の各申請をしたこと、同裁判所は右申請を容れ右各命令を発したが、右債権差押命令は同年七月二八日第三債務者である被控訴人に、同年八月九日債務者である龜甲にそれぞれ送達され、また右転付命令は同年八月九日被控訴人及び龜甲にそれぞれ送達されたことは当事者間に争いがない。

二、被控訴人はまず、龜甲の有する本件預金等債権は、昭和三五年七月一五日、被控訴人と龜甲との合意による相殺によって消滅したと抗弁する。

当事者間に争いのない本件預金等債権が右七月一五日当時存在していた事実に、〈証拠〉を綜合すると次のとおり認められる。

(一)被控訴人は昭和三五年二月五日当時各種ガラス壜問屋龜甲貴多郎商店を営んでいた龜甲と、原判決添付手形取引約定書(但し抜粋)記載の条項を含む手形取引約定を締結し、爾来これに基づき手形貸付、手形割引等の取引を行なって来た。

(二)被控訴人はその後、龜甲の営業に不振の徴候があることに気付き、同年七月六日龜甲と同人の同日までの右手形取引によって既に発生している債務及び将来発生すべき償務を担保するため、同人の本件預金等債権に質権を設定すること(質権設定の事実は当事者間に争いがない)その他原判決添付担保差入契約書(但し抜粋)記載の各条項を含む契約を締結した。

なお、本件預金等債権のうち、右当時の定期積金の掛込額及び普通預金の預入額は(ハ)表の(5)について七九万五、〇〇〇円、(6)ないし(12)についてはそれぞれかっこ内記載の金額であったが、その後の掛込ないし預入れによって同年七月一五日までに右(ハ)表のかっこ外記載の金額となった。

(三)かくして被控訴人は更に龜甲と右手形取引を継続したところ、同年七月一五日現在において、被控訴人は龜甲に対し(イ)表記載のとおり手形貸付をし、かつ龜甲のために(ロ)表記載の各手形の割引をしたが、右両者の合計は、前記預金等の各債権を九〇万円近く上廻るに至った。

しかもその頃、龜甲の営業状態は甚しく悪化していたので、被控訴人の九段支店の担当者である訴外松本修一は、龜甲と善後策について協議し、右七月一五日両者の間に次のような合意が成立した。

すなわち、被控訴人と龜甲は右手形取引を爾後停止すること、前記手形取引約定所定の条項三項により(イ)表記載の手形貸付金債権については弁済期が到来したものとされ、また右条項八項により(ロ)表記載の各割引手形については被控訴人において龜甲に対しこれが買戻を請求するが、被控訴人は右手形貸付債権及び右手形買戻請求権と本件預金等債権とを対当額において相殺し得ること及び被控訴人において右相殺をした結果不足額があれば龜甲はこれを遅滞なく現金で支払うこと。このような合意が成立した。〈中略〉。

右認定の事実によれば、右七月一五日被控訴人と龜甲との間に、被控訴人が右手形取引により取得した右各債権を龜甲の有する本件預金等債権と相殺することによって決済する旨の合意が成立したことは明らかであるが、右は相殺の予約に止まるものと認めるのを相当とするから、右の合意から直ちに右当日被控訴人主張のような相殺がなされたものと認めることは困難である。〈中略〉。

三、次に被控訴人は、昭和三五年八月一九日その主張のとおり相殺の意思表示をしたと抗弁する。

1.〈証拠〉によれば、被控訴人は同年八月一九日付内容証明郵便を以て控訴人に対し、被控訴人主張の手形貸付金債権及び手形買戻請求権を以て、控訴人が転付を受けた本件預金等債権と対当額につき相殺する旨の意思表示をし、右意思表示はその頃控訴人に到達したことが認められる。もっとも右乙号証には、被控訴人において右当日相殺した旨を控訴人に通知するとの記載があるに止まるけれども、相殺は、特にその旨を明示した意思表示がなくても、相対立する債権債務を対当額につき消滅させようとする当事者の意思が表明されていれば足るものと解すべきであるから、右の記載はこれを以て被控訴人の控訴人に対する相殺の意思表示と認めるに妨げないものである。

2.ところで、債権が差押えられた場合において、第三債務者が債務者に対して反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでない限り、右債権及び被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は差押後においても、右反対債権を自働債権として被差押債権と相殺することができるものと解すべきである(最高裁判所昭和四五年六月二四日大法廷判決、民集二四巻六号五八七頁参照)。

今これを本件についてみるに、右二、認定の事実によれば、被控訴人主張の自働債権のうち(イ)表記載の手形貸付金債権については前記昭和三五年七月一五日弁済期が到来し、また(ロ)表記載の各手形については被控訴人が龜甲にこれが買取を請求したことによって前記手形取引約定の条項八項に従い買取請求権が発生したことが明らかである。尤も〈証拠〉によれば、被控訴人は龜甲に対し同年八月一七日に(ロ)表記載の買収を請求する旨の意思表示をしていることが認められるので、右によれば右手形買取請求権は右日時に漸く発生したものではないかとの疑問がないではない。しかし、前記証人龜甲及び同松本の各証言及び弁論の全趣旨によれば、右は被控訴人において龜甲に対し念のため前記手形買取請求権の履行を催告したに止まるものと認めるのを相当とするから、以て右認定を左右するものではない。他に右認定に反する証拠はない。従って、被控訴人は本件差押前より前記反対債権を有していたものである。

次に〈証拠〉によれば本件手形取引約定には、龜甲が被控訴人に対し負担する債務のいずれかの履行を怠り或は被控訴人において債権保全のため必要と認めるときは、被控訴人は何らの通知を要せずして、龜甲の被控訴人に対する債権の全部又は一部を以て、期限の如何にかかわらず、龜甲の債務の弁済に充て得る旨の条項(四項)があることが認められ、このことと前記二、認定の事実及び弁論の全趣旨を合せ考えると、被控訴人は本件債権差押の日たる同年七月二八日(ハ)表記載の本件預金等債権につき期限の利益を放棄し、以て相殺適状を生ぜしめたものと認めるのを相当とする。

してみれば、被控訴人のなした前記相殺の意思表示により、受働債権たる本件預金等債権は、右相殺適状に達した際に、前記自働債権とその対当額において消滅したものというべきである。

そうして、本件においては自働債権たる右手形貸付金債権及び手形買戻請求権の合計額が受働債権たる本件預金等債権の合計額を上廻っていることが計算上明白であるから、特に相殺充当について立入って判断するまでもなく、右相殺により右受働債権は全部消滅したものである。〈中略〉。

3.ところで控訴人は、被控訴人が右相殺の意思表示をなすには、(イ)表及び(ロ)表各記載の各約束手形の交付を必要とするものであるから、これなくしてなされた右の意思表示は効力を生じないと主張する。しかし、被控訴人の自働債権は既に認定したとおり手形貸付金債権及び手形買戻請求権であって手形債権でないのみならず、右は訴訟上の相殺であるから、いずれにしても、被控訴人において右相殺をなすに当り当然控訴人主張の手形を交付することを要するものではない。右主張は理由がない。

次に控訴人は右と同様の理により、右手形貸付金債権及び手形買戻請求権の行使と右の手形の交付とは同時履行の関係にあるから、かかる抗弁権の付着した債権を自働債権としてする相殺は許されない旨主張するが、右に認定判断したとおり右の前提自体が認め難いものであるから、この主張は更に立入って判断するまでもなく理由がない。尤も、右のうち手形買戻請求権の行使は右請求権の本質よりして一般に手形の交付と同時履行の関係にあるものであるが、前記証人龜甲及び同松本の各証言と弁論の全趣旨によると、龜甲は被控訴人との間の本件手形取引に基づく関係を一応決済した後において、被控訴人から(イ)表及び(ロ)表の各約束手形の返還を受けていることが認められ、右事実によれば、龜甲は前認定の本件手形買戻請求権発生の際予め右同時履行の抗弁権を放棄していたものと認めるのを相当とするから、この点は本件において前記相殺を認める妨げとはならない。

四、以上のとおりであるから、控訴人が本訴において支払を求める(ハ)表記載の本件預金等債権は右三認定の被控訴人が昭和三八年八月一九日付をもってなした相殺の意思表示によってすべて消滅したものというべきである。

控訴人は、被控訴人が本件預金等債権につき相殺の意思表示をすることは権利の濫用であると主張するけれども、本件に現れたすべての資料によっても、未だ被控訴人の右意思表示を目して社会観念上これを是認し難いものとは到底断じ得ないから、右の主張は採るを得ない。

してみれば、控訴人の主たる請求(但し当審において変更されたもの)は更に立入って判断するまでもなく理由がなく排斥を免れない。

五、そこで控訴人主張の予備的請求(当審における新請求を含む)について判断する。

控訴人の右請求は、被控訴人に控訴人主張の如き手形交付の義務があることを前提とするものであるところ、本件において被控訴人にかような義務があるものとは認め難い。けだし、本件相殺の結果受働債権である前記預金等の各債権が消滅しても、そのことによって控訴人が龜甲にかわって自働債権たる前記手形貸付金債権及び手形買戻請求権(しかもこれらが手形債権でないことは既に述べたとおり明白である。)を弁済したことになるものでないことはみやすい道理であるから、控訴人は被控訴人に対しその主張のように手形の交付を求め得べき限りではないからである。

してみれば、右義務の存在を前提として、被控訴人に債務不履行(履行不能)又は不法行為のかどであるとして損害の賠償をもとめる控訴人の予備的請求は、更に立入って判断するまでもなく全部失当であって、これまた排斥を免れないものである。

六、叙上認定判断したとおりであるから、当審において拡張、追加される以前の控訴人の各請求を棄却した原判決は結局相当であって本件控訴は理由がなく、また当審において拡張、追加された新請求もまた理由がない。

よって、本件控訴と当審における新請求はともにこれを棄却すべく、なお訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡松行雄 裁判官 田中良二 川上泉)

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